☆好きなことをして生きていくこととラクをして生きていくことは違う☆
5月頃から緊急事態宣言とまん防でずっと休館だった図書館に行ってきました。(まだ、予約した本しか借りれませんが)
新しい本は買いますが、昔のベストセラーだったり、タイトルが気になる物だったり、著者が気になる物は、図書館で借りています。
予約は10件まで。びっちり予約はいっています。
多い物で80件待ちとか、1年は待つことも・・・
急いでないものは、放置状態にしておいてます。
今日借りた本は、タイトルが気になったもの。
すぐ読めそうだったので、2冊借りました。
石井貴士さんの「会社は絶対やめていい!」
心屋仁之助さんの「「好きなこと」だけして生きていく。」
2冊とも借りるときタイトルが超恥ずかしい。
図書館司書さん「え!?」みたいな顔してた。
「好きなことをして生きていこう」と決めた最近の心境を思って借りてみた。
2冊とも今日借りて今日読み終えた。
好きなことをして生きていくこととラクをして生きていくことは違うのだと言うこと。
好きなことをするときはすごく怖いということ。定収を失うという恐怖よりも、未知の世界に足を踏み出すのが怖い。
本当に好きなことをやろうと思ったら、人に迷惑をかけてしまうかもしれない。
人から非難されたり、嫌われたり、バカにされたり、妬まれたり必ずするもの。
そっか、好きなことをするって、楽しいだけじゃないんだなってわかった。
最近、私が漠然とした不安がたびたびよぎるのも当たり前なんだなーって理解できた。
周りからは理解されない、孤独な天才になるか、それとも、友だちが多いので寂しくないが凡人として人生を送るか。
これも極端な考えだけど、今まで後者だった私には、考えさせられる言葉だな。
☆家族円満のコツ!?☆
仕事を辞めたらやりたいと思っていたことがいっぱいあったけど、全然興味がなかったのが家事。結婚もする気ないし、別に家事できなくてもいいや、と思っていた。家事代行でも雇えばいい話だなんて思っていた。
ですが、今1番気分転換になっているのがこのプチ家事。
洗い物して、米といで、生ゴミをコンポストに捨ててふきんを洗濯。これが、朝、昼、晩の毎日のルーティーンになっています。
1番やりたいと思っていたのが、文章を書いたり、読書することだったけど、一日中机に向かっていてもネタが降ってくるわけでもなく、洗い物がめちゃくちゃ気分転換になっています。
そして家の中の基盤がめちゃめちゃ汚いというわけじゃないところに感動。ちょっとの時間ですぐきれいになる。普段からきれいにしているのがわかる。家族のありがたさも感じる。
それでも家族が「毎日台所がすごくきれいだわー」と言ってくれると嬉しくなりやる気もでる。
最近友だちから、友だちの両親の喧嘩の原因を聞いて、、、
洗い物を手伝ってくれるはいいけど洗剤のへりがはやいとか、水道代が高いとかが喧嘩の原因になっているとか・・・
私も確かに、洗剤たっぷり、水もたっぷり使っているな・・・なんて思い当たる節有り(笑)
うちの家族はそんなこと何も触れず「最初はいいんじゃない?」とながしてくれるので、安心しています。
これが家族円満のコツなのかな。
☆村上春樹さん「騎士団長殺し」を読んだ~☆
今回は、久々小説を読んだ感想を書きます。
私はほとんど小説を読まないのですが、久々、村上春樹さんの「騎士団長殺し」はまりました。すっごい昔、村上春樹さん読んだ記憶があるけど、「騎士団長殺し」は初めてです。
こんなところが好きというところをまとめました。言葉が好き。
★好きなところ★
現実と非現実との境目がうまくつかめなくなってしまうことが往々にしてある。
私でありながら私ではないからです。
AとBという関係の意味を正しく知るにはCという別の観点が1つ必要になってくるということ
まるで肉体の情報と意識の情報とがつながりをたたれてしまったみたいだ。
それはあなたの中にいるものだから
私はその小さなペンギンが今でもどこかからーおそらくは無と有の間を行き来しながらー彼女を見守ってくれていることを祈らないわけにはいかなかった。
私はこんな表現が好きです。
イデア(概念)とメタファー(暗喩)という目に見えない物を登場人物にしているところとか。
なんというか客観的に見るというか遠くから見るというか・・・空間を生きるというか・・・目に見えないもの、漠然としたもの、なにかを見るというか・・・
自分ではどうすることもできない目に見えないもの、よくわからないまま終わらせるところ・・・ぼやーっと終わるところ。そんなところが好きです。
☆コロナと退職と体調不良☆
今回は私が人生の節目に色々考えた話を書こうと思います。
コロナの影響と退職とそれに体調を崩したことが重なって、私は自分の人生ががらりと変わった。
昔の私は毎日仕事に行って、空いてる時間はピアノを弾き土日は友だちとランチをして、インスタ映えの写メをとり、服装はスカートをはくことが多かった。キラキラ女子の生活を送っていた。
にこにこ笑顔で外面のいい自分が義務の私だった。
実際の自分とは違う何者かになろうとしていたのかもしれない。
周りの期待に応えようとしていたのではないか?
実際の私は常識的な事も知らないし、自分に自信もなく、だらしないし、頭も悪いし、神経質だし、プレッシャーにも弱いダメダメ人間だった。
人から良く思われたく、理想の自分を演じていたんだ。
それはおそらく、所属感が欲しかったのだと思う。だから協調性、調和を大切にしていた。
いつもユーモアを持ちながら、人とコミュニケーションがうまい人に憧れそんな理想の自分を追っかけていたのだと思う。
退職、体調を崩すという、人生の節目に自分と向き合えることができたのかな?と思う。
コロナ渦で、外に向かっている人より内に向かっている人の方が評価される世の中になってきたのを感じる。
友だちも少なく、ほとんど外出することなく普段目立たなかった人が、自分の世界を持つと言うことで価値ある人と人生観が変わってきたような気がする。
人と群がる人生より、1人の時間を楽しむことのできる人の方が必要とされている世の中になってきてるような気がする。世の中も私も変化している。
☆昔の日記を見ながら思ったこと☆
今日は昔メモった自分の日記!?を見ながら思ったことを書きます。
私は昔から、思ったこと感じたことをメモするのが好きです。
今はもう習慣になっちゃって、毎日思ったこととかいいアイディアとか書くのが当たり前になっています。
ふと今日ずっと昔のノートを読み直してみて思ったことを書きます。
1ページ、2ページで終わっているノートがいっぱい。まずは続けろ~と言いたい。
★気づいた点★
①「~だなー」、「~が不安だなー」そう、虚無。「○○だったらいいなー」て遠くを見つめているような文章が多い。「~したよ。」って文章をもっと増やせばよかった。
②仕事のことについて触れている文章がない。仕事の内容より人間関係がいっぱいいっぱいだったんだなーって思います。仕事すれ~、仕事のアイディアだせ~。
③感動たりない~
コンサートの感想文とかもっと時間をかけて書け~、時間をかけれ~
④本やドラマに出てきた感動した言葉を綴った物
続けろ~いい感じだぞ~止まっているぞ~もったいないぞ~
⑤自己紹介の文章などもでてきた
ネガティブ。短所のいいわけ。
いいところをもっとアピールすれ~そんな自己紹介では笑いすらとれないぞ~
⑥記録続けろ~
2,3ページで終わっているぞ~見返すといろんな所見えるぞ~
⑦ポジティブワードとかリスペクトの心とか応援する心とか感謝する心とか、これは確かにすぐには思い浮かばない言葉だけど、時間かけろ~悩んで悩んで時間かけてでも書き出せ~
そんなことを思いました。
文章を書いていて、こんな事が見えるようになりました。自己洞察に大変興味があるのでこんなこと注意しながらメモ!?日記!?続けていきたいです。
☆結婚したら劣等感は消える!?☆
今日は結婚について書いてみたいと思います。
今はもう「結婚はしない」と決めていますが、そう思ったのは、ここ2.3年前のことで20代30代とつい最近まで婚活してたこともあります。
同窓会に行くと「1番に結婚していそうだよね」なんていわれたこともありましたが・・・
仕事の行く先々で「誰かいい人いませんか!?」て紹介してもらっていた事もありました。
お見合いパーティーなどにもいったことがあります。
婚活が就活のようになるのが嫌で行くのをやめましたが・・・・
自分のプロフィールを書くとき、土日何をしてるとか、趣味とか、その欄を埋めるために行動するような自分が嫌になったのでやめました。
年を重ねると、まるっきりモテなくなりました。
結婚しないと決めたとき、「もう人には頼れない」と気持ちの中で思っていて、気がつくと気が張っていました。
新たな出会いがあった時は、心が舞い上がった。ワクワクしてました。
人の温かさに触れたとき、あー私はこんな幸せを感じていない?結婚の楽しさをわからないで「結婚しない」と言ってるのかな?なんて思うときもあります。
それでも結婚はしないと決めています。
自由が楽しいです。
昔は結婚して劣等感を消そうとしていたのかしれません。
☆「怒り」や「反すう思考」は不幸になる。☆
今日は、「怒り」や「反すう思考」は不幸になると言う話を書きます。
あるプレゼンを見ていると「あーこの人ダメだな」って見ていてすぐわかる人とかいる。
怒りを訴えているみたいなのとか、自分は正しいみたいに周りが見えなくなっていて、自分に酔っているみたいな人。
「怒り」
クレーム入れたり、悪口言ったり、口に出すことでスッキリと気持ちがよくなるかもしれないけど、客観的に見てると、この人幸せになれないなーなんて思う。
正当論しか言えない人、
いいたいことはわかるけど、それができないから困っているんじゃないかって思う。
文句ばかり言っていないでTODOを考えなきゃ。どうしたらいいのか?それを考えなきゃ。
「反すう思考」
自分の欠点や過去の失敗を繰り返し考え続けてしまう現象。
客観的に物事を見るには、この思考はマイナスになる。
これも一緒で、じゃ、今何ができる?を考えなきゃダメだと思う。
そういうとき私はとりあえずお風呂に入る。
☆他人と比べてしまうときはどうするか?☆
今日は、一緒に働いていて、他人と比較してしまったときどうしたらいいかについて書きたいと思います。結論からいうと、「すごいねー」って相手を認めると楽になります。
最近、私より家族が活躍することが多い。
家族が家族のために行動している。家族の役に立つことをしている。家族からほめられる。
これが職場の同僚だったら、私はどれだけ嫉妬していたことか?
私より同僚の素晴らしい活躍。仕事が正確で速かったり気が利く行動をしたり。
私は同僚と比べることが多かった。劣等感を感じながら働いていた。
おかしな事にそれが活躍するのが、家族だとしたら嫉妬も劣等感も何も感じない。
なぜだろうか?考えてみた。
- 気にしていない
- 家族から愛されていることがわかっている
- 私が他のことで頑張っているのを家族は知っている。
こんな感じです。
職場では人からわかっていないと思われたくない。同僚の中で自分が1番劣っていると思われたくない。そんな思いがいつも心の底にあった。そう思われたらどうしようといつもヒヤヒヤしていた。
今、家族と比較することはまずないなー。
私の頑張りをわかってもらえているという家族からの承認があることの自信なのか?
あるときから職場で「私は仕事ができないんだ」と認めるようになった。プライドも何もかも全て捨てて、わからないことは「教えて」と素直に教えてもらうようになった。そして「すごいねー」って言うようになった。
するとちょっと気分が楽になった。
頼りすぎは良くないけど「私は仕事ができない」と認めて学ぶ努力もすると、皆快く教えてくれるし、アドバイスもくれることもわかった。
人と比べないためには自信を持つことが大切。比べちゃうときは「すごいねー」って素直に認めると楽になる事がわかった。
☆もがいてもがいて、気づくと目的地にいる人生☆
今日は、もがいてもがいて気づくと理想の自分になっている。
本当の理想の自分を修正しもがいてもがて、理想の自分に近づくと言う内容を書きたいと思います。
私は、どん底に落ちたかのような挫折、小さな穴に落ちたかぐらいの挫折、色々な人生を送って来ました。挫折は人生の方向を見直すきっかけになります。
どん底に落ちた時の私はレールにのろうといっぱいいっぱいでした。人生のレールから道を踏み外したからです。人の目も気になった。
「普通の人になろう」「常識的な人になろう」そんな思いでいっぱいいっぱいでした。
もがいてもがいていつの間にか「普通の人」に見えるような生き方をしていた。
自分にはこれ以上の能力がないと思っていた。普通に仕事して、アフターファイブを楽しんで、にこにこ笑う生活をしていた。
無難に生きようと思っていた。「普通の人」が私の人生の目的でした。
それはそれで良かったのかもしれない。
でも私は、おそらく仮面をかぶっていたのだと思う。
「何か違う」と気づいてしまったのです。
本当の自分ではなかったような気がします。
だからまたつまずいたのかもしれない。今、また人生の方向の修正をしています。
今の方が気持ち的には地に足のついた生き方をしている感じがするのですが、世間体は悪いです。だから不安にもなる。
またもがいてもがいて生きているのだと思う。
そのうち目的の自分、満足できる自分にたどり着くような気がします。
修正しながら、ぐるぐるぐるぐるまわって目的に近づいていくのだと思う。
あせる必要はない。間違っていたらまたやり直そう。
☆昔の友だちに会って自分を客観視する☆
今日は私の強みは何かを考えみたという話を書きます。
昔の友だちに会うと、ふと今の自分を客観視できる。
「私なんかずれてるかな?」とか、「変なところへ走ってないかな?」とか、、、そして現実にも直面したり、、、
思い切って今の自分の考えていることを口に出してみようかと思ったがそれはやめた。私が時間をかけて考えた決断なのだから。そして結果も出ていない。
立派な経験や肩書きがある人の意見は何でも正しく感じる。私の場合、立派な経験や肩書きが何もないので自分では正しいと思っていることも「それはちょっと間違っているよ」みたいにたびたびいわれる。
そして、「○○さんが言うなら絶対正しい」私も少しこの考え方が強い。ブランドや肩書きに弱いのだ。
私の強みは何か!?
今は無職だけど無職も強みではない。無職の期間が短いからだ。無職のこと何もわかっちゃいない。
考えて考えてたどり着いたのが何十年も劣等感と闘って生きてきたことではないか?と言うことだった。
人様に役立てる情報を書くとしたら、劣等感からのTODOなのではないかと考えるようになった。
それを元に文章を書くことで、人に伝える事もあるのではないか?と今感じる。
最後は、まっいっか。でしめくくる。
☆終わりよければすべてよし☆
今日は、やろうと思っていたことを全部手放してみたらやることなくなったという話を書きます。
毎日やりたいことがいっぱいで、TODOを箇条書きにして、こなしているんだけど昨日はばたばたで家族の「財布の入ったバックがない」から始まり家中探しました。
結局見つからなく、思い当たるのが前の日に家族と一緒に買い物に行って帰ってきて玄関前のベンチにバックを置き水まきをしているうちにバックの存在を忘れ次の日に気づくと言う内容。「盗まれた」と言いだし、、、、まさかとは思ったけど、いくら探してもバックはでてこないのでそして運転免許証が入っていて、車の運転もできないので、警察に連絡しました。
家族は2時間かけて公共機関で免許証の再発行へ・・・(一日でできるらしい)
その間、私はクレジットカードの停止の手続きをしたり、届け物があったのでその買い物に歩いて出かけたりなんやかんやで自分のやりたいTODOは何もできず・・・
思い切って全てあきらめどうしても今日中にやらないといけないことを考えてみると、フリーターの私にとって自分自身のどうしても今日中という物はこのブログの毎日更新のみ。
そんなもんだなー。後は何も切羽詰まっていない。
そう考えると時間に余裕ができ、料理作ったり、洗濯物をたたんだり、風呂掃除したり家族がいつもやってくれてることができる時間ができた。
そして無事ブログも書けた。気づくと昨日一日11688歩も歩いていた!!
家族の運転免許証の再発行も無事終わり、終わりよければ全てよし!!
余談ですが、消費期限切れから4日目を迎える干しカレイが冷蔵庫のチルドに入っていた。消費期限 干しカレイなどでググったら「捨てた方が良い」意見の方が多かった。
匂いも見た目も大丈夫そうだったのでとりあえず焼いてみた。食べてみたけど大丈夫。おなかはこわしていない。
これもよし。
☆私の読書法☆
今、電子書籍やら、教科書まで電子化されているけど、私は紙派です。
今日は私の読書の仕方を書きます。
付箋は人生の投資だと思っていて本を読むときいいなと思う言葉のページに付箋を貼って読んでいくのが好きです。
一冊読んだだけで付箋がボーボーになります。
でも付箋の所だけ後から読み直したりすると、たいした量でもなく、何ヶ月後とかにその本を読み返すと、その時大切に思っていたこととか、その時、何も感じなく読んでいたところがすごく重要だったり、こんな大切なところを見逃していたとの発見があったり面白いものです。
私は小説はほとんど読まない人なんだけど、最近、村上春樹さんの「騎士団長殺し」にはまっています。読んだ後の余韻がすごくよく、そんな小説にも付箋貼っています。(笑)
村上春樹さんが描写する表現とか、「この言葉の使い方いい」って言うところとかとにかく最近、何でもよく忘れるのでぺたぺたと付箋を貼って読んでいます。
ちなみに付箋は百均で買いだめしています。
☆成功談が書けなかった☆
今日は私が新卒の頃正社員になって成功談が書けなかった話を書きます。
私は、何度も転職していますが、新卒の頃、就職した会社の入社式で、その時の社長に「成功談を書いて下さい。」といわれたのがすごく印象に残っています。その時私は成功談が書けなかった。成功した物がなかったのです。だからすごく印象に残っているのだと思います。仕方ないので「この会社に内定したことが私の成功談です」なんて当たり前のことを書いて出したら、「内定が人生の成功談というのは間違っている。内定はゴールではない。これから何をしたいかが大切だ」と言われ、はっと気づくのです。
その会社の入社式では、学生時代、部活動で活躍したとか資格を取ったとかそんな人たちが称賛されていました。
今は、成功談がなければつくればいい。と思っています。これから成功するんだって思っています。
でも、一方で、学生時代に、就職した会社で成功談を書かされることを知っていたのであれば、学生時代成功談を作るために一生懸命頑張ったんじゃないかって思うところもあります。成功することでわかる人生の大切さももっと早くにわかったんじゃないかって思います。
新聞の広告欄を見たら「13歳からわかる!7つの習慣」「13歳からわかるプロフェショナルの条件」など、今、大人になって読むような大ベストセラーを子供向けに編集されたものが出版されていたりして、今の子供はうらやましい限りです。
13歳でこの本に出会えるんだ。人生で大切な事を13歳で学ぶことができるんだ。
私は新卒の頃に成功談が書けなかったダメダメ人間なので、人生に必要なことを知るのが遅すぎたわけですが、今の13歳贅沢。絶対読むべきです。何度も何度も読むべきです。そして、そこに書いてあることの意味を実際の社会の中で感じることが生きていく上で大切な事だと思います。
て、上から目線になっちゃダメですよね。13歳の私にアドバイスできたら是非読んだらいいよ。て、言うと思います。
その一方で、私は人生は何歳からでもやり直せるということも信じています。
☆家族の下着を買って気づいたこと☆
今日は家族の下着を買って気づいたことを書きたいと思います。
家族の好きな物、嫌いな物を知りたいです。
家族に「家族のパンツを買ってきて」と頼まれたことがあります。毎年、年に1度、衣料品30%OFFの日に近くのスーパーで下着を買うらしいです。
下着ってむずかしい。どこどこのブランドのどれどれって頼まれたら、すぐ買えるけど、パンツ?しかも男物?
「Lサイズのボクサーパンツ。3000円分、買ってきて。」と言われました。
働いていたときは、ほとんど家事はしないし、家のこともしないし、毎日洗濯したり、洗濯物たたんだりしてたらできる事ですよね。これ書いていてちょっと恥ずかしくなります。
Lサイズのボクサーパンツを見てみると、フィットしている物と、スースーしている物。ボクサーパンツと一言で言ってもいろいろあります。
うちの家族はフィットしている物派らしいです。
2枚で980円ぐらいの30%OFFでした。
最近時間があるので、庭の殺虫剤だとか除草剤のまきかたなど家族に教えてもらっています。
「蝶々の季節にまくんだ。」と言われました。炎天下の中、帽子かぶってマスクして、ちょっとかったるいなーって思いながら教わった。
私は蝶々を見るたび、この日を思い出すと思います。
家族のためにできる事。家族の様子を見てないとできません。
私は大切にしている物が家族なので、自分のことのように家族のことを知る事が大切だなと思ったのでした。
知らないこと多いな。今まで自分の楽しいことばかりしか考えていなかったけど、他にも大切なものがあることに気づきました。
☆斉藤和義さん「雨宿り」から、快楽主義になってないかな?☆
今日は、たまたま見つけた斉藤和義さんの雨宿りの歌詞から思ったことを書きます。
人生のヒントになる言葉ないかな?って考えていたら目についたのが「雨宿り」。ググってみると歌のタイトルに使われていたり、喫茶店の名前だったり、小説のタイトルだったり・・・
雨宿り:急な降雨などの時に雨具を持っていないために、軒下などで雨がやむのを待つこと
皆が共感できる、ちょっと人生考えさせられる共通キーワードなんでしょうね。
ちょっと、暗いイメージ。間違っても、ハッピーなイメージは与えないですよね。
「昔の恋人」だったり、ふと過去を思い出す内容だったり、なんか昭和だなー・・・
”思考停止”なんて言葉が私のブログのテーマの1つでもあったりするので、斉藤和義さんの雨宿りの歌詞は、じっくり読んでしまった・・・
引用
テレビも新聞のニュースも誰かに気を使ってばかり
そいつを鵜呑みにしている思考停止の快楽主義者
身分不相応の夢を捨てるつもりもなくただひたすら闇雲に
「がんばろう」
私のブログ、こんな感じに空回りしていないかな?なんて思ったりしました。
快楽主義者になっていないかな?
ちょっと人生を立ち止まったときに読んで欲しいブログを書いているつもりです。