★あーもんどさやの道しるべ★

劣等感でいっぱいだった人生。生き方を綴りたい。

父と私

父と私は水と油のような関係で、性格が似過ぎていて、仲が悪かった。

 

父の病気がわかる半年前までは「絶交する」といって、半年ぐらい口もきかなかった。

 

パソコンのある部屋で、YouTubeを見てる私の隣で、貧乏揺すりをしながら音を大きくして父もYouTubeをみだす。

 

きこえないので嫌みのように音量を上げるが何も反応がない。

 

貧乏揺すりにイライラ、音の大きさにもイライラ。

 

家族その1ちゃんは、その辺は上手くやっていて、父が好きだったYouTubeのチャンネル名や、父の好きな囲碁騎士まで、把握していた。

親子の確執のイラスト(父と娘)

 

忘れもしないのが新聞の「読売オンライン事件」。

 

読売新聞の、朝刊と夕刊を購読すると、スマホで紙の読売新聞が読めるのだ。スクラップもできる。

 

「これいい」と私は安易に登録した。新聞は父の名義でとっていたので、父の名前がいる。勝手に父の名前で登録した。

 

私が仕事に行っている間、読売新聞から電話が来て、父は、登録なんてしていないのに自分の名前を使われ、大声で新聞社に抗議。

 

読売新聞も強気で「家族の誰かが登録したのではないですか?」と言い返したらしく「絶対そんなことない。個人情報だ!!」と大声で怒鳴ったらしい。

 

私が仕事からのほほんと帰り、「登録したの私だよ。」というと大げんかになり「読売オンラインははっきりと断った。」とのこと。

 

朝早くに読売新聞にあやまりの電話も入れたらしい。

 

父との関係はさらに悪くなった。

 

私がピアノを習うのも、「音がうるさい」とか「お金がかかる」とか大反対で、アップライトのピアノで大きな音でピアノを弾くのも一苦労だった。

 

父が亡くなって、私は読売オンラインにもアップライトのピアノにも興味がなくなった。

 

新聞は地方紙にかえた。ピアノを弾くときは電子ピアノでヘッドホンにしていつも通りに弾く。

 

こだわりもなくなった。父を思い出すので、読売オンラインもアップライトのピアノも興味がなくなった。

 

父は病気がわかって、3ヶ月で息をひきとった。

 

私のことを「(病気がわかって)、あいつ手のひら返したな」と言っていたらしい。お金お金の父で私の貯金額までメモっていたと後から聞いた。(私は、給料日になるとでかい声で貯金額を喋っていた)

 

家族大好きの親ばかだった。

 

もっと話をしとけばよかった。

 

私には、「次会うときは、痴呆がかかっているかもしれない。3人で支え合って、相談して生きろ。」と言って、入院先に戻った。

 

家族その1ちゃんの誘導で朝シャンしたての髪にバスタオルを巻きながら「育ててくれてありがとう。」と言った。

 

家族その1ちゃんはその場面を動画に撮りたくて撮りたくて仕方がなかったが、私がものすごくひどい格好をしていたらしい。

 

それでも撮ってほしかった。

 

ふざけるようにしか、「ありがとう」は言えなかった。

「はいはい」とだけ父は答えた。

 

まさか3ヶ月で息をひきとるなんて思ってもいなかった。

 

すごく不器用で親ばかな父だった。