★あーもんどさやの道しるべ★

劣等感でいっぱいだった人生。生き方を綴りたい。

☆ゆっくり進む、おじょうさまの自立への第1歩☆

無人島にもっていくならどっち?」 「水?」  or 「家族の写真?」

 

昨日、岸田文雄総裁夫婦のやりとりがあったという内容を、昼のテレビ、「バイキング」で、何となく見てた。

 

昔の私だったら、「家族の写真」を選んだ。でも、今なら声を大にして言う。

      「水」

 

「水」を選んだという、岸田夫人のことを、「現実的なんですね~」ってコメントしてた。

 

それを見て、「うん、うん」と思った。

今、私は、「自立」しなければ・・・ともがいている最中です。

なぜ、今まで「自立」できなかったのか?

 

「家族が大好きだから」

 

自立とは?

「自立」とは、「精神的な自立」と「経済的な自立」がある。(昔、何かで読んだ)

 

●精神的な自立

「家族に反発すること」。反発して、家族に、「自分の本心」を伝えないと、伝わらないと、最近、気づいた。

●経済的な自立

「自分で稼いで自分のお金で食べていくこと」

 

私はまず、「精神的な自立」から始めた。「自分のやりたいこと」を伝えた、というか、言えなかったのを、手伝ってくれた人がいた。

 

家族を裏切るようで申し訳ない気持ちになった。一日中、動くことすらできなかった。

ドキドキだった。

 

なぜなら、「家族が大好きだから」

 

私の父はどんな人?

ケチなところは、無いけど、お金にはものすごくシビアな人だった。

 

昔、友だちに、

「うちのお父さん、お金に、ものすごくうるさい人なんだよね」

って愚痴を漏らしたとき、

友だちに、

「(あーもんどさやの)お父さんって、昔、お金に苦労でもしたの?」

と言われたのを覚えている。ハッと気づいた。

 

それが父の「劣等感」だったと、私は、最近、気づいた。

父の劣等感は「家が貧しかったこと」だったのかと。

 

メンタルのものすごく強い父だった。

自分の意思を絶対に曲げない父だった。

 

それでも劣等感はあったんだ。

劣等感は誰にでもあるもの。

 

親の反対をおしきって、家を継ぐことなく、田舎の無名の高校から、有名大学に入った。

 

ものすごく勉強したという。奨学金をもらい、大学時代は、「学費を稼ぐため」、バイトの日々。

親の援助は、一切、うけなかった。

 

「やりたいこともできなかった」のかもしれない。

 

そこにあった、父の劣等感にも気づいた。

だからこそ、私に、「お金の大切さ」を一生懸命、伝えていたのかも知れない。

「不器用な父の思い」に、私は、気づくことができなかった。

 

「お金の大切さ」をこの歳になって、初めて気づいた。

将来の不安を、今、初めて感じながら、「人生」についても、考えています。

 

そんな中でも、「本当に好きなこと」「本当に大切にしている物」を選んで、楽しみたい。

ゆっくり行きたい。

 

それが今の私の「生き方」