人間関係にくじけそうになったら・・・
週2回、とりあえず通うところができました。
見学やら、体験やら、今日も人がいっぱいでどっと疲れた。
家に帰ったらぐったり。
緊張しているのか、その場では気が張っているんだけど・・・
女性特有の人間関係苦手だ。
すでに嫌な予感がする!!
なんか上から目線なんだけど・・・
そんなときは目的を考えよう。
目的は、「自分に合った仕事を探すために通う」
それだけを考えればいいんだ。
目的を持って通えばいいんだ。
人のために通っているわけではない。
13回の転職経験を活かそう
昨日の就活で、
面接の練習とかもしてくれるとのことだった。
13回も転職している私なので、その度に面接の練習をしていて、こういうのは得意というか、押さえるところは押さえているというか・・・・
「数打ち当たれ」の勢いでいつも就活していたので場数も半端ない。
昨日の話からすると、求められるのは、
「仕事ができないけどニコニコしている人」
なので、私の得意の「和」だったり、「協調性」の世界なのだろう。
何年も使ってきた私の自己ピーアールもそのまま使える。
「調和」「協調性」の世界は、まだ通用するのか?
最近「とがっている人」に魅力を感じていた。
自分の意見が言えなかったり、人と同じことしかできない私だったので・・・
最後、影で泣きながら、最後の最後まで粘って得た「任期満了」という肩書き。「自己都合」の辞め方でないので、履歴書的にもばっちり。
しかし、働けるのか?
半年は働いていない。
昨日ちょっと話聞いただけでどっと疲れてしまった。
パソコンも少しずつ復習していかないと。
EXCEL、WORD、忘れてる。
時間があればもう一度資格を取っておきたいものだ。MOS試験というのがあるらしい。
何十年も前にとった古い資格しかないので・・・
とりあえず、頑張ろう。
で、前の会社は、ブラック企業だったのだろうか??
パートを探すのに就活してきた
今日、とあるところで、就職の話を聞いてきた。
「仕事ができて、イライラしている人」
「仕事ができないけどニコニコしている人」
どっちを採用するか?のような話を聞いていて、答えは、「仕事ができないけどニコニコしている人」の方が採用されるとのこと。
極端な話だなと思った。仕事のできる人になるのは難しいけど、ちょっと口角を上げる努力をすることは簡単だから・・・
仕事もできて、ニコニコしている人もいっぱいいるんだよーと思って聞いてました。
私の勤めていた職場は、即戦力が求められたので、、、
でも、皆でひとつのことを仕上げていたから「誰が1番できるのか」とか、興味ない人は興味ないし、仕事ができる人からすればやりがいなかったのかも・・・
今日、話をしてくれた人は、ニコニコしていて返事はでかく、優しい感じの人だった。
アンケートを書いた。
気のきいたことは書けなかったけど、本当、特に不満な点は何もなかったのだ。
何だか久々外部の人と会話して、話がかみ合わない。
オリンピック、特にパラリンピックの時は、テレビどころでないくらいいろんなことがあったので、暫く世の中何が起こっているのかすら、わからなかったのだ。
「あれ?それってなんだっけ?」みたいな単語ばかり出てきて暫く、とまどった。
私の、大手企業の羅列のような職歴みて、「プライドが高いと思われたかな!?」
そんなことばかり考えていた。
そーゆー所でしか勤まらなかったんだよーって思っていた。
「仕事ができないけどニコニコしている人」まさに私のことだ。
若いときから、そんな風に働いていると、年をとったときに苦労するんだよ。と心の中で思っていた。
「無理するな」ではなく「頑張れ」
私は、寒かろうが、雪が降ろうが、冬だろうが、毎朝、公園にラジオ体操に行くタイプで(雨が降ったら、傘さして朝散歩)
それが普通のことだと思っていました。
最近載せた、ラジオ体操の記事は、アクセス数がよくないので、世間一般には、冬は、朝早く外に出ないのでしょう。
最近、私のそんなところが、私の「らしさ」だと思います。
(「らしさ」が私の最近のブームです。「ファンが増える!文書術―「らしさ」を発信して人生を動かす 山口拓朗にはまっています」)
さてさて、劣等感というのは、人と比べることからくるもの。
劣等感でいっぱいだった私は、退職すると、劣等感がなくなりました。
コロナ渦であったのもあり、人に会う機会もどっと減ると、自分のペースで過ごすようになりました。
それが、最近、仕事帰りに悔しくて涙まで流して帰った会社が、懐かしく、美化してきたりしてました。
大きな会社の歯車のように働く人生が嫌になったはずでしたが、同じような仕事をハローワークで探していました。
今までと同じ人生を繰り返す人生には戻りたくないはずなのですが、そんな事務職の仕事の話が降ってきそうな道を見つけると、心が揺れます。
「楽して儲けよう」「コスパよく働こう」みたいな気持ちになるのです。
あほみたいなことを考えているかもしれない、なまけているように思われるかもしれない、スネをかじっていると思われるかもしれない。
でも私には、仕事に対して、私なりのこだわりがささやかにもあることを思い出しました。
(一生懸命働いている人の前では、申し訳ないのですが)
もう、小手先のテクニックを使って就職探しをすることはやめようと思いました。
失業保険が切れたらパートとかでは働くかもしれないけど、自分の生きたい道を行こうという原点に戻りました。
意外かもしれないけど、こういう時(少し病んでいるとき)私が嬉しくなる言葉は、「無理するな」ではなく「頑張れ」という言葉です。
目標も決まらない。どうなるのかもわからない。
曜日感覚がなくなってきました。
このまままったりとしていていいのだろうか?
ちょっと前までは、「仕事行かなきゃ」みたいなのが夢にまで出てきて、ハッと目が覚め「そうだもう仕事行かなくていいんだ」みたいなのを毎朝繰り返していた。
そんなのもすっかりなくなり、極楽、極楽。
こんな日々にどっぷりつかっていて、いいものか?という疑問が・・・
ちょっとだけ、働くことも視野に入れています。
結局は、私にできる事と言えば、事務補助のような仕事しかなく、ハローワークの求人を見ても、今までと似たような仕事をさがすしかないのです。
特に小さい会社では、即戦力も求められ、とてもじゃないけど、つとまりません。
20代とかなら、歯を食いしばって頑張れるのですが、というかそんな会社では、雇ってもらえません。
今の生活に、ちょっぴり罪悪感を感じます。
私だけこんな、ゆっくリ生活していいのかみたいな。
申し訳ない。
働いていた頃は、家のこと一切やらない人だったので、少しは家事するようにはなったけど、、、
人と、違うことをしているから、罪悪感を感じるのだけど、似たような人がいれば堂々と、今の生活満喫するだろう。
汗水流して働いている人の前で、本当、申し訳ないと思いながら・・・
「今年は、どんな一年にしようか?」
やってみないとわからないことばかりです。目標も決まらない。
情報を集めるところからなのでしょうか。
身ひとつで出発した後の人生の幸せは?
家族その1ちゃんはイラストを描くのが得意です。
昔は、よく、おばあちゃんの誕生日に、イラストを描いていました。自分の歳を思い出せないおばあちゃんは、そのイラストを見て、歳を思い出していたものです。
私の部屋には、家族その1ちゃんの描いた、家族の古希のイラストが、お守りのように貼ってあります。
紫色のちゃんちゃんこを着た、古希になる家族のイラスト。
誕生日に、着たちゃんちゃんこの色を思い出すだけで、その当時を思い出せます。
人生の節目に、ちゃんちゃんこの色を思い出すといいですね。
最近、掃除をしていたら、DSライトの本体が出てきました。
ゲームはメルカリですぐ売れたんだけど、本体は、古本屋さんに問い合わせると、何百円とかにしかならないとのこと。
家族その1ちゃんが、最近このDSライトで遊んでいます。
「あれ、身ひとつで生きていくのに、ゲーム必要なの?」と聞くと、
「最近リバウンドきているんだ」とのこと。
身ひとつで家を出て行くのも、大切な事だけど、それからも人生のスタートが始まるんだなと、最近つくづく感じます。
身ひとつで家を出た後の人生を想像する。
必要なものも出て来るんだなて思います。
ミニマリストになるのも、覚悟が必要とのこと。慣れない人がやると、ストレスに。
何でも、極端なことを始めるのは、難しいものですね。
家族その①ちゃんが、ガンガン物を捨てだして「身ひとつで生きていく」と行ったときはかっこよく見えたけど、物は、時と場合には、幸せを与えてくれるものだと、つくづく思います。
将来、生活保護で、生活していくことになっても、ゲームやっている、ゆとりくらい欲しいです。
(私はゲーム興味ないけど)
そしてゲームやっている生活保護者も想像できないけど・・・
不謹慎かもしれないけど、大変な時こそ、笑顔でいられる、ゆとりが欲しいものです。
とりあえず、今は、ちょっとだけ落ち着いたのかな。
ラジオ体操。朝のルーティーン。
朝の6時半からのラジオ体操に行っているので、規則正しい生活しています。
冬も行ってる。
外は暗いし人も数えるほどしかいない。
そして寒い。
でも、毎日の習慣で楽しい。
「眠い」とは思うけど、帰ってくると眠気は去っていて、その分昼寝はしちゃうけど、
いろんな人に会えるし・・・・
朝、散歩してみると、結構いろんな公園でやっています。
神社の前でやっているのとか是非行ってみたいんだけど、なかなかそこまでは、できていません。
昔は朝が全然ダメで、
ラジオ体操なんて考えられなかったものですが、
「起きて、服着て、とりあえず公園に行く。」
を繰り返しているうちに、朝が苦じゃなくなった。
ラジオ体操から帰ってきて、
朝ご飯食べて、
洗い物して、
1時間、読書する。
最近の朝のルーティーンです。
仕事している時も、朝、ラジオ体操に行ってから、化粧して、身支度して、会社に行ってました。
ラジオ体操の資格を持っている方もいらっしゃる。
私は、けして、だらけているわけじゃないんですが、ダラダラ体操しているように見えるようで、家族に、
「あんたやる気ないしょ?」って言われる。
でも、ラジオ体操の歌は、覚えたぞ~!!
一人で歌っています。「新し~い、朝がきた~、希望の朝~だ~」
そして、1分マインドフルネス。
空を見上げて深呼吸しながら、
「今日も一日、家族全員が、幸せでありますように」
て、のびをする。
それだけでOK.
ピアノの話
コロナでレッスン受けれなかった時でも、先生いなくても練習できたんだけど、興味が薄れたんだろうな。
譜読みを自力でやるパワーが無い。
昔弾いた曲は新鮮味がなくてやる気が出ない。
椅子に座ると30分ぐらいはすぐ過ぎるんだけど、
子供の頃の勉強と一緒で、椅子に座るまでが・・・
私はわりかし、最後までざくっと譜読みして最初に戻るタイプだったけど、
「ピアノは1小節を確実に弾いた方がいい」
とピアノの先生によく言われていた。
自分でやると、間違っているんだかあっているんだかわからなくて、
丁寧に練習してるつもりが間違いだらけ。
それを発見してこその先生だからそれこそ習っている価値があったんだろうけど・・・
「できないことがわかることが大切だな。それがこれからの課題」
と思っていたところで、辞めてしまった。
毎日の練習は、昨日と今日と変わり映えのない日々で、例えばピアノの記事をブログで毎日書けって言われたら、書けない。
昨日とあまり変わってないとネタが無くなりそう。
何でもそーだけど、本物のすばらしさが私には、よくわからないのです。
反田恭平さんはわかる
書いていて思った。素晴らしいと思った人の素晴らしいところを研究すればいいんだって。
そんな私がピアノの先生の選び方がわかるようになった。
それは自分に合う人がわかっただけだけど・・・
私に合う人って、それはそれは難しいです。
1度会うだけなら、上手くいっても、長いつきあいになると難しい。
まず思いっきり褒めてくれなきゃ、続かないし、勘違いするほど「素晴らしー」と言ってくれなきゃ、やる気でないし・・・
で、ちょっとさぼりがちな先生が意外にあっている。
でも、実力が無いとダメ。
「今そこ見てた!?」って言う時、きちんと見てる人。
勘が鋭い人じゃないとダメ(笑)
私にはピアノの先生は務まりません。
でも、私のピアノの先生は、そんな人でした。
若く見えるコツ
昔、「職場で若い人についいけないんだー。」
なんてボサいた時、上手くやっていくコツを教えてもらったことがある。
「体を素早く動かすこと」
そしたら若く元気に見えるという。
言っていたのは同級生だっただろうか!?
「なかなかいいこと言うなー」って、その時、思った。
そして、笑顔。
やっぱりニコニコしている元気な人は、いつまでも若く見えると信じています。
あまり込み入った話には、加わらない。
周りで、盛り上がって、成果を出している人を見ると、おいてかれるような気分になったものです。
歳を重ねてえる、人生の経験とか、知識のある人は敬われるけど、私なんて、ほとんどただのおばさん。
(自分のことおばさんなんて言っちゃダメ。これも大切)
馬鹿にする人は放っておいて、私は私なりの生き方を信じて、自分と気の合う人を見つけていけばいいと。
気の合う人がいなければ、暫く一人で・・・
動きまわっていると、つきも回ってくる!!
上手くいかないときこそ動き回る!!
日常を打破するというか・・・
それにつきます。
鏡に向かって「大丈夫」
きもち、自己肯定感高まります。
年が明けたら気分もスッキリ。うずうずしてきた。
「毎日行くところ作ったら!?」
と言われ考え中。
やりたいことがいっぱいあるのに、せっかくの時間がなくなるではないか・・・
と思ったけど、ちょっと外の空気にも触れたい気分。
結局「そんなの自分で決めなさいよ~」と家族に言われ、私の行動には興味ないようです。
試しにまずは見学・・・
明日電話してみよう。
2位というポジション
反田恭平さん。
大好きです。
ショパン国際ピアノコンクールで2位をとってから、テレビでよく目にするようになった。
反田さんは、将来「日本にピアノを学びにきてくれるような学校を作りたい」
そんな夢があるそうだ。生きている間に、人を育て、日本人からショパン国際コンクールで1位の人がでるところを見たい。
譲るために2位になった。
そんな生き方をしたい。とテレビでおっしゃっていました。
私が、昔、手あかができるほど読んだ漫画「いたずらなKISS」(多田かおる)がある。
頭のいい天才のいつも1位の入江君を追っかける船津君はどんなに頑張っても2位にしかなれない。
ちなみに家族その①ちゃんは、「2位すごくない?」というタイプ。
「こんなに努力しているのに、なんで1位取れないの?」でなくて、
「2位すごいじゃん」て思うタイプです。
そんな生き方が好き。
夢があり、ビジョンがあり、目標を定めてそれに向かって逆算していく。
これを聞いたとき、
ピアノの世界もビジネスで成功しているビジネスマンと同じ。
スティーブン・R・コヴィの「7つの習慣」とかにでてくるビジネスの世界と一緒。って思いました。
選曲から、髪型から、全て計画的だったという反田さん。
こんなに細かい計画があるからこその実力で、この努力がなければただの1発屋。
どんなことも意味を持って取り組んでいるんだなって思った。
2位をとった運命。それを活かそうとしているのも素晴らしい。
今回のショパンコンクールで反田さんが曲選びをしたように、私もなぜこの曲を選んだかみたいな歴史的な背景をもとに、ピアノを演奏してみたい。
メッセージを込めてピアノを弾いてみたい。
何気ない一日を大切に
毎年恒例のTV番組、「格付け」を今年も見てました。
今年も笑ったー。
「かえる」って美味しいんだろなー。
100グラム8000円の「近江牛」
「豚肉」ホホ肉 100グラム150円
「かえる」の肉
最後、ほとんどの人が「かえる」を選び、「映す価値なし」と画面から消える(笑)
「かえる」おいしいんだ。
たまに焼き鳥屋さんに行くとメニューに「かえる」がある。
私は絶対食べれない。
でも大勢の人といろんなメニューをたのむと、どれがどれだかわからなくなり、もしかしたら「かえる」食べてたかもしれない。
違和感ない。
時にはかえるの姿で串焼きなっているのもあって、私はやっぱり絶対食べれない。
そして、やはり、「かえる」を選んだ
ビックボスの新庄。
2006年の日本シリーズいったな。
パレードにも行った。
野球のことは何もわからないけど、野球選手って、いい意味で野球しかしていないんだな。
高校時代、野球部の男子達もめちゃめちゃ野球頑張っていたな。
中には勉強の成績がいい人もいたけど400人中400番台の人もいっぱいいた。
それでもグラウンドで青春している姿はかっこよく、野球部の男子はいつもヒーロー!!
優勝なんか一切目指しません。
僕は高い目標を持ちすぎると、選手というのは上手くいかないと思う。
一日一日地味な練習を積み重ねて、シーズンを迎えて、
何気ない試合、何気ない一日を過ごして9月当たりに優勝争いをしていたら、さあ優勝目指そうって
そこの気合いの入り方は違うと思う
新庄剛志監督
人生もきっと地味な毎日の積み重ねだな。
自分の物は自分の部屋で管理。基本。
朝から寒い。
お正月だけど今年は喪中だし、人が来るわけでもなくいつも通りの日。
初詣に行きたいと思ったけど、雪が降ってきたし、それをほおっておくと雪がたまりにたまって、
一気に雪はねをすると、バテてしまうので、15分くらいずつたまったら雪はねを朝から4回くらい繰り返している。
さらさらした雪なので、バテることなく、家族と一緒に・・・・
今のところ順調です。
ところで、
今まで働いていた時は、年末調整は印鑑を押して名前書いて終わる、パターンで、確定申告が少々不安です。
役所に問い合わせたら、100万以上稼いでないので、しなくて大丈夫。
ただ、所得税が戻ってくるので、源泉徴収書をもって、税務署に行けばいい。とのことだけど。
「医療費控除とかどうなの?」とか・・・・
いつも10万も超えないから、してないんだけど・・・
今年は収入少ないし・・・
今日は去年かかった病院の領収書を整理しながら・・・
実は、家族が、私のかかった病院の領収書を半分くらい捨てた!!(泣)
去年の途中気づきました。
自分の部屋で管理しない私が悪いのだけど・・・
なので、色々と心配。
でも、上限もあるみたいだし、何とかなりそう。
お正月から、頭の中がぐるぐる回っていて、あまりお正月も関係ないのです。
「気にすんなー」がおまじない
今年もあと少しで終わります。
今年もいろんなことがありました。
今年、1番パンチをくらった出来事は、大切だと思っていた人に、私の一番気にしている部分、コンプレックスを感じている部分を指摘されたことです。
人が一人死ぬと言うことは、すごいことで、悲しみはもちろんのこと、その後のもめ事も必ず起こると言うことです。
私の家だけではないはずです。円満に行くことはまずない。
一番気にしているところをつかれるとそれはそれは、一発で心が折れました。
人の目を気にすることが多かった私は、「常識が無い」「普通じゃない」みたいなことを言われると、もうダメです。
自分のやっている事を否定されたりすると、ダウン。
でも、今回のことで、十分よい経験になったので、
この次「常識が無い」とか「普通じゃない」と言われても平気な顔でいられそうです。
もうこのコンプレックスは、克服できたんじゃないかなて思います。
傷ついたけど、どん底まで落ちた私は、見栄やプライドがなくなりました。
どうやら私は、それほど素晴らしい人間でもないようです。
そして、顔には出さないけど皆わかっているようです。
プレッシャーから解放されました。
1歩前に進めた。成長した。
恥ずかしい思いをしたので、思いっきりバカにもされたので、もう十分なんです。
私は常識のない人間なんです。
どんどん馬鹿にするといいです。
そんな中でも、来年は楽しみを見つけて生きていこう。
私にも楽しむ権利がある。
幸せになる権利がある。
明るく生きていれば、寄ってくる人だっている。
わかってくれる人だっている。
「気にすんなー」→おまじない。
幸せと感じること
図書館でお正月に読みたい小説を借りてきた。
村上春樹「1Q84」分厚い3冊。
思いっきり読書できるー。
幸せだー。
本を読むゆとりなんて今までなかった。
読んでいないベストセラーだってまだまだたくさんある。
お金がないので図書館の利用だけど・・・
昼寝しながら、本を読む。
老後も図書館の近くに住めたらいいな。
芸術にも触れたい。
旅行もしたい。登山も、森林浴も・・・
来年は非日常にたくさん触れたい。
家族皆が健康で、楽しく過ごすそれだけで十分だ。
来年の手帳をママじゃないけど、家族の予定を書ける「ママの手帳」にしたら、目標を書くページがない。
大目標は?小目標は?
「そんなの決めなくていいんだよ」って家族その1ちゃんに言われた。
そっか、目標なんていらないんだ。
(でも書くけど・・・・そこは譲れない)
張り合うように生きてきたここ2.3年。
嫌いな人がいたわけじゃなかったけど、「くやしー。」って思いをいつもしていた。
ニコニコ笑ってあわせていた。劣等感たっぷり。
「穏やかに過ごせばいいんだ。」
父が、生前、私に言った言葉。
ごめんね。頑張れなくて。
穏やかに過ごす。そうする。
幸せだよ。